私的マイコンの歴史:前編

技術

確か1970年代初め頃だったと思うが、intelが4ビットマイコン4004を発表した。続いて、8bitマイコンの8008,8080へと進化した。この時期は未だ、TIの7400シリーズ等が全盛で、デジタル回路はこれらのICで設計していた。その内、国内メーカー:NEC、TOSHIBAが自力のCPUを発表し始め、我々電子技術者の感心を引く様になった。確か、NECがμ-comシリーズの4,8bitマイコンだった。TOSHIBAはユニークな12bitマイコン:TLCS-12をreleaseし、独自路線を行こうとしたが、余り普及しなかったと思う。

私はNECの4bitマイコン(μ-com4)のセミナーを受けたりしたが、開発環境が余りにもお粗末で、2の足を踏んでいた。その頃、DECのミニコンpdp-11を会社が導入する事になり、その運用を任される事となった。これを契機に、コンピューターの世界に入り込み現在に至っている。

しかし、ミニコンと云っても、現在のパソコンとは比べ物にならない稚拙な操作状況であった。フロントパネルにあるアドレス、データ、コマンドswを上下して、プログラムを書き込む事もあった。その後、TTY(テレタイプ端末)が接続出来るようになったが、出来ることは限られていた。CPUはTTLで構成されており、数枚のバカでかいプリント基板が入っていた。

1970年代半ば頃、ようやくZ80(Zilog製)やMC6800(モトローラ製)の8bitマイコンが実用レベルになった。記憶が曖昧であるが、これらのマイコンの開発にpdp-11を使って、クロスコンパイルしていたと思う。私はMC6800のアーキテクチャーが好きで、これが主流であったが、後にZ80も使うようになった。何れのCPUもperipheralは無く、周辺回路はTTLの7400シリーズで構成していた。

1980年始め頃だったと思うが、パソコンもCPUが8086でOSがMSDOSのNEC製pc-9801が出て、マイコンの開発環境が整ってきた。しかし、OSがよくfreezeして、プログラムが消えてしまう事があった。この体験が今でも、NEC、Microsoft嫌いの原因になっている。丁度この頃(1980年半ば)、独立して金銭的に苦しい状況だったので、何よりも強い凝りとして残っている。

1980年代後半にHITACHIのワンチップマイコンH8シリーズが出て、 本格的なマイコン時代が到来したと思う。私は価格が安かったYellowSoftのコンパイラを使ってソフト開発していた。当時はchipメーカー製の開発環境は高額だったからである。又、デバッグはシュミレーターで、CPUのpackage毎にアダプターを購入する必要が有り、負担も大きかった。

長くなりそうなので、この続きは後編とする。