私の囲碁歴は結構長いが、ブランク期間も長いので、大した棋力は残っていないと思っている。囲碁を始めたのは大学時代で、同好会の様なサークルがあった。碁を打つ場所は構内ではなく、碁会所だった。碁会所では毎月総当りのリーグ戦があって、勝率が7割以上になると一階級昇級或いは昇段する決まりになっていた。私は超初心者だったので、15級からスタートし、先輩や碁会所のオーナーから碁のイロハを教わった。学校の授業をサボって、碁会所通い(多分、3年間位だったと思う)をした事で、卒業する時には3段になっていた。
社会に出てからは碁とは無縁の生活を送っていた。ある時、ふと碁でも打ってみようと云う気になり、会社近くの碁会所に行った。小さな碁会所であったが、 40歳前後の男性が出てきて、打ってみましょうという事になった。私は3段位ですと告げると、それでは4目置いて下さいと言われて、4子局で打った。序盤はそこそこであったが、中終盤になると全く歯が立たなくなって、大差で負けた。後で判かった事であるが、その人は神奈川県の県大会で決勝戦に残るレベルの人だった。もう半世紀以上前の話である。
其れっきり、その碁会所に行くことは無かったが、職場では休み時間に時々打っていた。仕事も忙しくなり、転職、結婚、独立もあって、碁からかけ離れた生活となり、この時期は全く碁を打つ機会は無くなっていた。子供達が成人し、余裕が出て来た60歳前後の頃、近くの公民館で囲碁クラブがあったので、気楽に参加してみた。リタイヤした高齢者の集まりで、置碁ばかりを打つようになった結果、碁が薄くなりこれではイカンと思うようになった。丁度その頃、家内が私の誕生日祝に5寸盤をプレゼントしてくれた。この事がキッカケとなり、囲碁をまた本格的にやり直そうと思った。
隣町に日本棋院の支部があり、そこに顔を出してみた。支部長は7段の人であった。2子局で初対局し、勝敗は忘れたが、5段格で打つことになった。週一で2,3年通ったが、近隣の地区対抗試合等も有り、ある程度の実力は付いていたのかも知れない。或る地区大会でレベル別のトーナメント試合があり、高段者クラスで優勝することもあった。この頃はまともな5段に成っていたと思う。
この碁会所では毎月トーナメントがあり、連続で2回優勝すると昇段出来るシステムがあった。1回優勝する事はあったが、2回連続と云うのはかなり難しいものがある。ある時、前月に優勝していて、2度目の決勝に残ったことが有り、優勝すれば6段になれる大事な対局であった。相手は6段の人で、終盤近くで悪手を打った。私はその時、”ウツ”と言ってしまった。その瞬間、相手は「石剥がし」をした。「石剥がし」とは、一度碁盤に置いた碁石を取り上げてしまう事で、囲碁では禁止されており、反則負けになる。将棋で云えば”待った”の様なものである。観戦者も大勢いたので、本当はそこで終局になる筈だったが、私は何も言わなかった。結果は私の敗局となり、6段昇段は出来なかった。
この事が原因では無いが、その後、体調不良になり、徐々に足は遠のいて行った。 碁会所に行かなくなって久しいが、現在はAI囲碁とiPadで対戦している。歳のせいか集中力が無くなり、昔の様な緊張感が保てない。 気楽な娯楽の感じに成っているが、其れも良しと思っている。