プロの囲碁棋士も最近はパソコンで、研究しているらしく、碁盤は余り使っていないのかな?と思っている。AIの方が強くなってしまったので当然ではあるが、一抹の寂しさを感じる。将棋のプロ棋士がAIに負けた時、囲碁は当分大丈夫だろうと思っていたら、僅か数年で負けてしまった。AIの進化は驚嘆に値する。この現実を囲碁界や将棋界のプロ棋士達はどの様に受け止めているのか?と少し気になっている。
前記事(囲碁歴)では述べなかったが、愛着のある碁盤の話である。 大学時代の始めの頃は、折畳式の薄い碁盤にプラスチックの碁石で勉強していた。或る時、骨董屋で脚付きの2寸盤を見掛けて、安く購入した。見た目は余り良くなかったが、学生にとっては十分の代物であった。友達と打つ時や定石の研究に使っていた。しかし、大学生活は金欠病との戦いでも有り、仕送り日が近くなると、パンと牛乳だけの食事になる事が度々だった。数多くのアルバイトもしたが、アルバイト代は数日で消えてしまった。それで、この碁盤を友達に僅かの金額で譲って、生活費に使った。後髪を惹かれる思いが少しあったが、、、
卒業する頃、どうしてもその碁盤が欲しくなり、友達に懇願して、同じ金額で買い戻した。就職して東京に出て来た時も荷物の中に入っていた。碁を打つ余裕も無かったし、寮生活だったので対戦相手もいなかったので、荷物の中に長年眠っていた。結婚して、家内に5寸盤をプレゼントされる迄はこの碁盤を時々使っていた。
欅の5寸盤に花梨の碁笥と白石は蛤、黒石は那智黒で、あの2寸盤と比べれば雲泥の世界である。又、暫く物置の片隅に眠る事となった。その後、10年位前、弟が碁を打ち始めたと云うことで、2寸盤を譲った。 思えば半世紀近くを付かず離れずではあるが、共に生きて来た碁盤との話である。
対戦相手がipadになってからは、5寸盤も今は座敷の片隅で埃を被っている。
時の流れと云うものはこの様にして過ぎて行くものなのか、、、、、