医者と患者のこと

健康

 開業医の受付で棚に並んだカルテを見る時がある。おそらく数千フォルダー以上は有るだろう。一人の医師がこれだけの患者を診察した場合、個々の病状を記憶していられるだろうか? 不可能だと思う。しかし、患者は誤解している。自分の過去の病歴を医者は全て知っていると,、、

カルテを見れば解る筈と思うかも知れない。これは医師のカルテの書き方による。整然と時系列に書き込まれたカルテの場合は問題ないが、時として寄せ書きの様なカルテを見る事がある。1,2週間後に再来院した時に、「どうしましたか?」と聞かれたら、この医者は間違い無く避けた方が良い。数カ月後に初診で来院したのであれば、やむを得ないが、再診なら普通は「どうですか?」,[どうでしたか?]であり、これなら許容範囲である。

● 最近は患者の話を聞きながらパソコンに打ち込むだけの医者もいる。打ち込む事に気を取られて、こちらの言う事を聞き逃してしまう。過去にこんな事があった。「こんな薬を2〜3ヶ月飲みましたが、全然効きませんでした」と言った事があった。診察を終えて、処方箋を見るとその薬が記載されていた。受付で「この薬は効かないと言いましので、変えて下さい」と言うと、待たされた後、再度処方箋を見るとその薬が削除されているだけだった。これが治療になるのか?
流石に、この開業医は数年後に閉院した。

● 近年は少なくなったが、上から目線の医者がいる。この手の医者の特徴は、
1,患者の詳細な病状を真剣に聞かない。
2,患者が自分の意見を云うと態度が豹変する。
3,気に入らないと、こちらでは診れないので、他に行ってくれと突き放す。
4,処方箋も書かず、紹介状を書いて逃げてしまう。
以上の特徴に合致する医者のカルテは間違いなく寄せ書きである。
昔の医者に多かったが、今では時代遅れである。

● この1〜4の全て該当する医者を実際に経験したことがある。
朝食を抜いていけば、胃カメラで診てくれる近所では評判の医者で、胃が不調で辛い時期にこの医院に行ったことがあった。朝食は抜いたが、胃の薬は飲んでいても良いとの事で、胃カメラの検査を受けた。ついでに胃壁のサンプルも取って、ピロリ菌の検査もして貰った。結果は胃は荒れているが、問題ではないし、ピロリ菌も居ないと最初言われた。しかし、胃薬を飲んでいたことを知ると、ピロリ菌の件はグレイだと言い出した。前述の1に該当する態度である。そして、「胃薬はピロリ菌に関係ないのでは?」と私が言うと、突然、態度が豹変した。そのまま、3,4となり、処方箋も出さずに、診察終了となった。勿論、この医院には二度と行っていないし、紹介状も破り捨ててしまった。

● 逆に紹介状は書かず、薬漬けにしてしまう 医者もいる。大手病院から開業した医者に多い傾向がある。「これだけ薬を飲んでも治らないので、大手病院で精密検査をした方が良いですかね?」と聞くと、 「この病気は何処に行っても同じですので、 、」と言って、薬を変えるか、薬量を増やす。この様な医者で注意すべき点がある。それは薬の飲み合わせを一切考慮していない節がある。患者の薬手帳を見ないで処方箋を書き、調剤薬局で「この薬の飲み合わせが悪いのでどうしますか? 」と聞かれることがある。 この様な質問はそのまま、その医者にして欲しいものだ。

● 治療法をよく説明しないで、「この様な薬がありますが、どうしますか?」と患者の方に聞いてくる医者がいる。 患者に薬を選ばせても、患者にはその知識がないので判断出来ず、苦慮してしまう事がある。普通であれば、患者の病状を見て、その薬の説明をしてから「この薬から試してみましょう」と云うのが普通ではないか! このケースの場合は即答を避け、「考えてみます」が良い。後日、別の医院に行くか?、ネットで調べて、納得すれば受け入れるか?、のどちらかを選択すべきである。基本的にはこの医者も避けた方が良い。私の場合は迷わず別の病院へ行くことにしている。

● ある循環器の開業医院に初めて行った事がある。 歳を取ると、若い頃と違って病気が重なって出る様になる。 胃の調子も悪く、息苦しく、自分でも何がなんだか解らなくなってしまい、何とかなるかも知れないと思い行った訳である。しかし、この中年の医者も上から目線のタイプであった。聴診器を当てるか、レントゲンでも撮るのかと思ったが、私の言うことはロクに聞かず、すぐ否定し、バカ年寄に対する接し方であった。処方もされず、そのまま引き上げたが、帰りの受付で新しい診察券を渡された。私はかなり頭にきていたので、玄関先でその診察券を破って捨てた。

● 血圧で動脈硬化を検査する機器がある。或る医院で”一度、自分の動脈硬化度を調べてみませんか?”と云う張り紙があったので、受けてみることにした。両手、両足に血圧測定のベルトをして、あるタイミングで加圧、減圧を繰り返し、順次血圧を測定し、動脈硬化度を調べられた。
その後の診察で、少し動脈硬化があると云う結果であった。しかし、医者が言うにはこの年齢では誰でもこの程度のデータが出るので、検査しても意味ないですよ!と言われた。何だと!それではあの張り紙は何なのか?と叫びたくなった。これ以降、この医者を信用することは無かった。勿論、この医院にはその後行っていない。

こうして思い出してみると、かなりの医者に掛かっている自分を知った。歳を摂る事とは、こうした経験を積み重ねる事でもあるのだと痛切に感じる。場数を踏むことはそれだけ死に近づいている予兆かも知れない。決して長生きしたいと思っている訳ではない。人の世話にならず、ピンコロで逝くのが、理想の死に方だと思っている。


患者は医師に頼り過ぎてはいけない。自分の身体の状態は自分が一番よく知っている。体調が一向に改善されなければ、医者を変えるべきである。そして、近隣で通える医院は限られてしまっても、所詮、死場所はこの地域の基幹病院である。