登山歴といっても若い時の話であるーその2             (大山、九重連山、宮之浦岳)

趣味

1964年(S39)の7月中旬から8月上旬に掛けての約1ヶ月間に渡る山歩きの思い出である。大学2年の夏休みを利用して友達3人で、蒜山高原から大山、九州の九重連山、屋久島の宮之浦岳への山行である。山岳部の友達が山日記をつけていたので、それを元にして、記憶をたどる話である。もう一人の友達の親戚が出雲にあり、そこを経由して、彼の実家がある宮崎県都城へ行き、屋久島へ渡る計画であった。

夜行列車泊して、翌朝下蒜山登山口から 中蒜山へ向かった。緩やかな山稜で、尾根伝いに中蒜山、上蒜山を経て、大山近くのテント場を目指していた。途中かなり強い雨に会い、私の体調が悪くなり 、中蒜山から下山する事になった。熱があったのか、列車泊に寄る睡眠不足のためか、歩くとフラフラしたことを憶えている。ヤットの思いで辿り着いたのが、蒜山中学校であった。事情を説明したら、一晩泊めて貰えることになった。今にして思うと、60年近い前の時代だったから許されたのかも知れない。体育館の片隅だったか?詳細は忘れてしまったが、シュラフに潜り込んで寝た。一晩中、雨は降り続いていた。

翌朝元気を取り戻し、徒歩で大山を目指し、その日は大山寺テント場で1泊した。翌日、そこから大山頂上(1709m)に登った。山頂周辺は砂状の崩れ易い地質で、当時から問題になっていたが、今はどうなっているのだろうか? 日本海がよく見えた事を憶えている。下山して、汽車で出雲に向かい、出雲大社に詣で、大社近くにある友達の親戚の家に滞在させて貰った。翌日近くの海で泳いだ記録が友達の山日記に残っていた。この日も更に1泊させて貰い、翌日車で石見大田駅(現在は大田市駅となっている)迄送って貰った。九重連山の登山予定だった為、汽車で九州に向かい、車中泊となった。

翌日:7/30に鹿児島に向かい、屋久島行きのフェリー内で一泊した。屋久島のフェリー港は多分安房港だったと思うが、60年前のことなので、記憶が薄い。その日は何処かの公園でテント泊した記録が残っている。運悪く台風が迫っていて、雨が降っており、翌日8/1には公民館に停めて貰った。翌日も台風と雨の為、登山は出来ず、何故か映画を見て過ごしている。普段でも屋久島は雨の多い島で、台風接近では尚さらであった。8/3には行動を起こし、トロッコ電車のレール道を使って登山を開始、花之江河でテント泊した。雨は降り止まなかったが、翌日宮之浦岳を目指して登山を開始した。しかし途中、雨の酷さに限界を感じ、皆んなの意見が一致して、登頂は諦め下山することになった。この時のドカ降り状態の雨とずぶ濡れになった感触が今も記憶に刻まれている。下山して、この日も公民館泊であった。翌日、フェリー(藤丸)で鹿児島に渡り、都城の友達の実家に辿り着いた。

今にして思うと、3週間以上に渡る山旅であったが、友達の親戚、実家と云う拠点があったから出来たのかも知れない。持つべき者は友達だと感謝の気持ちが蘇ってきた。3人共に80歳を過ぎた超高齢者になってしまったが、私を除いた二人は癌を克服して、今も健在である。