物事の教え方について考えてみる。私は教える側に立ったことは殆どないが、40年以上前に、一度だけある。当時は会社務めで開発関係の仕事をしており、丁度マイコンが世に出始めた頃である。会社としてどのマイコンを選択すべきか?に迫られていた時期で、色んなセミナーに参加する機会があった。マイコンとはどの様なものか?と云う説明で、教師が決まってする例がある。マイコンのアドレスとは「住所」で、データは「その家に入っている物」と考えようと云う説明である。異分野の人で、マイコンを実際に使わず、概念としての説明であれば、それで良いかも知れない。しかし、マイコンセミナーを受講するのは殆どが電子技術者である。あの小さなデバイスの中に、住所や家があると説明されても、抽象的過ぎて理解出来ず、もっと具体的な説明が欲しいと感じた事があった。
例えば、次の様な説明はどうだろうか?
memory-map(メモリ概念図)があれば、更に理解しやすいのであるが、言葉だけで説明しみると、、、マイコンにはメモリーがあり、そこは区画ごとに分類されていて、プログラム、データ、システム管理等の領域がある。それらはアドレスとデータで管理されており、 ビット単位でアドレス数、データ幅が構成されている。ビットとはFF(Frip-Frop)で、1or0を記憶し、ビット数によりアドレス数、データ幅が決まる。8ビットで1バイト、16ビットで2バイトとなる。1バイトとはこのFFが8個パラレルで、これがプログラム領域の場合、8ビットが命令を意味し、このマイコンの動作を決定する。アドレスの場合は転送先アドレスとなり、データ領域の場合はそこに転送する16進データとなる。
例えば、スイッチを押すとLEDが点灯する仕組みを説明すると、前述のシステム管理領域のプログラム領域から命令を読み込み、それを解読し、或るアドレスのデータのうち、1ビットに1を書き込むとLEDが点灯し、0を書き込むと消灯する。即ち、マイコン動作は1ビットのFFがバイト単位でアドレス、命令、データ、となり実現されている。
少し専門的に成り過ぎた感はあるが、電気系の技術者にはこの方が理解しやすいと思う。 つまり、専門分野の教え方と異分野の教え方には相当の差があり、それに沿った教え方が必要と云う訳である。
絵画クラブの先生の場合
私は2つの絵画クラブ(絵画クラブAと絵画クラブTとする)に在籍している。 何れのクラブの先生も高齢であるが、絵画クラブTの先生は子供の頃から絵が好きで、 現在に至っている。従って、絵の技術や感性は身体に滲み込んでいるせいか、理論的に教えることが出来ない。例えば、構図、混色法、描画技法等の教えを乞うても答えることが出来ない。私は理系人間なので、この点に不満を持っているが、他のメンバーはそれ程気にしていない風である。 又、初心者に教える場合、直ぐに席を奪って、理由を述べる訳でもなく、色を付けてしまうし、意図した色が絵の具箱にない場合はその色を購入するよう要求する。この様な教え方では個性が育たず、絵画技術も進歩せず、何年経っても先生好みの絵しか描けていない。又、写真が主体で、実物を見て描く機会が全くないので、この先生に頼っているメンバーは殆ど上達していないと、私は感じている。私の場合はこの先生とある距離をとっているので、これらの影響を受けず、独自路線で油絵を楽しんでいる。
絵画クラブAの先生は日展の会員で、常時参加する訳ではないが、年に数度の展示会やモデルを描く場合に出席してくれる。この先生は筆を持って色を付けてしまう事はしない。絵の輪郭や線を口頭で指摘して、理由を述べる教え方をする。従って、このクラブのメンガーは全てが実に個性溢れる油絵を描いている。このクラブの場合、普段は花を主体とした静物画であるが、年に一度モデルを使った人物も描く機会がある。つまり、実物を見て描く事ができるので、物を見る力と絵画技術が向上していると、自分は感じている。
地元の熟練スキーヤーの場合
私は60歳代後半まで、毎年2〜3回スキーに通っていた。痛風に成ってから 断念せざるを得なくなったが、当時聞いた話である。地元の中年女性スキーヤーで 、インストラクター1級並のベテランであるのに、スキーを教えることが出来ないと云う。彼女は地元で、子供の頃からスキーをして育ったので、技術が自然に身に付いており、教え方が解らないと言っていた。なる程、自然に身に付いたものは教え方の順序や理論は解らないのかも知れない。 この例は前述の絵画クラブTの先生と同じケースである。
最適な教え方とは?
この事から考えると、教える側の人間は教えられる人間として育ち、教え方を会得した人の方が向いているのかも知れない。しかし、言語の場合はどうであろうか?例えば、英語の場合、nativeの先生と日本人の先生を比較したら、どちらが最適な教え方をするのであろうか?この質問の答えは、現在英語学習中の私には解らない。英語を習得し終えた時、その答えが見つかるのかも知れないが、多分日本人の先生のほうが良いのではないかと思う。
教え方の重要性は子供教育にとって、特に、切実な問題である。家庭や学校教育によって、子供の人格や思考が影響を受けるとすれば、個性を伸ばし、人格、社会のモラル、道徳等の最適教育とは何かを?問われる事になる。先日、日本の或る中学生が、”国を愛しているか?”と聞かれた時、”国など無くても良い”と言ったのをTVで観たことがある。国が無ければどんなに酷い事になるかを知らないのだろうか?イスラエル、パレスチナ、中国に侵略されたチベット、新疆ウイグル、内モンゴル、その他の少数民族自治区の現状を見れば明白である。現在の国際情勢を見た時、戦後の左傾化した学校教育を見直す時期が来ていると痛感する。