健康

病状による最適な診療科はどこを選ぶべきか?

長年、右足の小指、薬指の皮が剥けたり、水疱ができたりしていた。或る時、かなり大きな水疱が薬指と小指の間にできたので、行き慣れていた整形外科で診て貰った。見た目だけで、水虫と言われて、1年間塗り薬を毎日続けたが、治らなかった。先日、湿布剤の貼り過ぎで、肌荒れが酷くなり、皮膚科に行った時、ついでに足を見せたら、水虫菌の検査をしてみましょうとなった。その結果、菌は居ないと診断された。病名は判らなかったが、軟膏を処方され、朝晩一週間ほど塗ったら、嘘のように治ってしまった。あの整形医の水虫と云う診断は何だったのか?、無駄な一年間は何だったのか?
趣味

登山歴といっても若い時の話であるーその4  (燕岳、表銀座、槍ヶ岳、北、奥穂高岳、前穂高岳)          

1966年10/4〜11、北アルプスの燕岳から表銀座を経て、槍、穂高連峰の登山と上高地へ下る山旅の話である。私とワンゲル部と山岳部の友達3人での山行であった。この記事も山岳部だった友達が残した山日記の記録を元に思い出してみることにする。入山は中房温泉から登り始め、燕山荘近くのテント場で一泊した。翌朝、燕岳山頂に登り、花崗岩で出来た独特の風景に感動した。ここからが表銀座の尾根歩きが始まる起点である。
趣味

登山歴といっても若い時の話であるーその3 (磐梯山、岩手山、八幡平、羅臼岳、大雪山、利尻岳)          

この山旅は記録が残っていないので、私の記憶だけを頼りに思い出してみる事にする。大学一年の夏休みを利用して、友達3人で岩手山から八幡平を経て十和田湖へ行き、更に青森から北海道に渡り、知床半島から大雪山、そして北の果の利尻岳に至る約一ヶ月の山旅であった。
健康

続.メガビタミン健康法の凄さ

先の記事「メガビタミン健康法」の続編である。2021/7月から始めたこの健康法は現時点で約1年半経過した。ATP+アドオンセットを毎日続けており、昨年末の血液検査で、更に驚くべき検査データが出たので、記しておきたい。先ず、クレアチニンと尿酸値に関してである。
社会

最近、死亡者が増えている

奇妙なことに、ワクチン3,4,5回目接種のピークと死亡者数4,5,6番目のピークが1〜2ヶ月のズレで酷似している。しかも死亡者数は増加していて、現在6つ目の山はピークアウトしていない。 これはワクチンを打てば打つ程、死亡者数が増加する事を意味しているのか??
技術

私的マイコンの歴史:前編

確か1970年代初め頃だったと思うが、intelが4ビットマイコン4004を発表した。続いて、8bitマイコンの8008,8080へと進化した。この時期は未だ、TIの7400シリーズ等が全盛で、デジタル回路はこれらのICで設計していた。その内、国内メーカー:NEC、TOSHIBAが自力のCPUを発表し始め、我々電子技術者の感心を引く様になった。確か、NECがμ-comシリーズの4,8bitマイコンだった。TOSHIBAはユニークな12bitマイコン:TLCS-12をreleaseし、独自路線を行こうとしたが、余り普及しなかったと思う。
趣味

碁盤の話

プロの囲碁棋士も最近はパソコンで、研究しているらしく、碁盤は余り使っていないのかな?と思っている。AIの方が強くなってしまったので当然ではあるが、一抹の寂しさを感じる。将棋のプロ棋士がAIに負けた時、囲碁は当分大丈夫だろうと思っていたら、僅か数年で負けてしまった。AIの進化は驚嘆に値する。この現実を囲碁界や将棋界のプロ棋士達はどの様に受け止めているのか?と少し気になっている。
趣味

囲碁歴

私の囲碁歴は結構長いが、ブランク期間も長いので、大した棋力は残っていないと思っている。囲碁を始めたのは大学時代で、同好会の様なサークルがあった。碁を打つ場所は構内ではなく、碁会所だった。碁会所では毎月総当りのリーグ戦があって、勝率が7割以上になると一階級昇級或いは昇段する決まりになっていた。私は超初心者だったので、15級からスタートし、先輩や碁会所のオーナーから碁のイロハを教わった。学校の授業をサボって、碁会所通い(多分、3年間位だったと思う)をした事で、卒業する時には3段になっていた。
社会

コロナワクチンの危険性

コロナワクチンの危険性は色々な処で実証されている。しかし、ゴミメディアが報道しないので、殆んどの国民は情報遮断に寄り、安全性ばかりを強調する報道に洗脳されている。以前の記事でも述べたように、厚労省でさえデータ捏造をして、ワクチンの有効性、安全性を掲げて、接種へと誘導している。この異常な日本の国情は何処からくるのであろうか? この闇はかなり深いと思わざるを得ない。
技術

私的マイコンの歴史:後編

1900年代になると、仕事の関係でパソコン(PC9801)を使って、システムを組むケースが多くなった。拡張スロット(ISAバス:16bit)にADCボードやインターフェース基板を使って、外部システムを管理する案件である。パソコンは本来office用であったが、上記の様に産業用としてもかなり使われていた。バブル時代の後半でもあり、企業の設備投資は盛んであった。